いろいろ3

ちょいとウメさん聞いておくれよ。

午後の妄想。

「結局、舞浜や多摩センターは、既存の漫画やアニメやキャラクターなどの『世界観』が最初にあって、それを具現化する『場』を消費者が求めていたわけであって、ゲーセンのような『場』とそれに付随した『ソフト』の巨大版を世に出していても、『ソフト』に強烈な世界観がないと廃れるのは自明」

「去年の夏と冬のコンテンツは、その強烈な世界観を体験したいひとが集まってわけで、従来の『ソフト』が人を集めたのではない」

「従来型の遊園地がどうしていたかと言えば『ソフト(新型ハード)』の徹底した更新につきる。それはゲーセンでも一緒であり、新型ハードのないゲーセンは想像がつかないし、そこに淘汰の波は間違いなくやってくる(逆に言えば『新型ハード』があれば淘汰回避は可能)」

「食は『ソフト』に成り得た。だが淘汰が始まっている。なぜなら従来と同様に『飽き』がくるから。でも飽きられるまでの時間を引き伸ばすことは可能だし、ひょっとしたら、『食欲』という本能に助けられるのかもしれない。ただし分母が大きいことと独占が前提」

『場』があることは、本当に強みなのだろうか。結局潰れると言われ続けた映画館という『場』は生き残っている。それは映画の上映で一儲け→DVDで一儲け→放映権で一儲け→映画製作への再投資というサイクルが出来上がっているから。昔はゲーセンで一儲け→のサイクルは確かにあった。では今は?

17歳の時に名古屋の本屋で出会った「超発想集団」の書籍からもう20余年。人口が減り始め、成熟化が進行するこの日本で、『場』を持つメリットとリスクを計算する人間はどこにもいないのだろうか?