サンマルクカフェからの未来

ちょいとウメさん聞いておくれよ。

昨日に引き続き、サンマルクカフェの2階。
長野県飯田市以来、15年ぶりに色々な未来を考える。

飯田市にいた2000年、つまりHMDも何もない時代にHMD施設に通っている自分が想像できるわけない。
小学生のときに「はたらくおじさん」を見て、自分の職業が全く想像出来なかったのに似ている。

ただ、数年に一度、未来への分岐点でこの思考パターンになるらしい。

HMDはOculusGOである意味究極の形になった。
HDM施設の運営も大変良くわかった。

となると次の道は何か。最終的には自分しかないのかなぁ。
何をやりたいのか。何処に行きたいのか。

健忘録としてひとつ。

サンマルクカフェにて

ちょいとウメさん聞いておくれよ。

先週とは趣を変えてサンマルクカフェに来ている。ドトールと違って電源ないし、WiFi掴みにくいのだが、広くて見晴らしが良いのは正義なんだと思う。

この場所、元々はマクドナルドが入っていたのだが、数年前の店舗統廃合でなくなってしまったのだ。二度と手に入らない一等地なのになと思う。

というわけでツイッターのDM送ったよ。これが未来への分岐点なのかもしれないなと思いつつ。

健忘録としてひとつ。

ドトールにて

ちょいとウメさん聞いておくれよ。

休日なのに早起きをして、自宅近くのドトールにいるのだ。おまけに購入してから一度もまともに使っていないiPad用のキーボードを使って書いている。

BGMはiPhoneからBluetooth経由で流れてくるディズニーシーのメインエントランスの曲。

そうか、スタバでドヤ顔してキーボード叩いている人は、こーゆーハイテンションな気分でいるのね、と初めて知ったよ。

さらにドトール店内のWiFi使って日記まで更新出来る。これなら動画編集も外で出来るかもしれないなぁ。

健忘録としてひとつ。

OculusGo

ちょいとウメさん聞いておくれよ。

OculusGoが手に入った。

https://twitter.com/mizo001/status/992743338754228224

ストレージ64GBでコントローラー付き。送料込みで29800円。激安。
DK2から追いかけていた者としては感慨無量。

数年後はこれが数千円くらいになるのだろう。
過去電卓や液晶テレビの辿った道と一緒。

そして5G回線の携帯と合体したモデルがとりあえずのゴール。
ザッカーバーグは間違いなくそこで覇権を取る気でいる。

OculusGoを手に取るとゴールは近いかもと思ってしまうよ。

健忘録としてひとつ。

いろいろ

ちょいとウメさん聞いておくれよ。

体調を戻すために1日ネットサーフンをするのもどうかと思うが、色々思うことがあるので書いてみる。

例えば眼球。

5億ピクセルの解像度を持つステレオカメラの映像を、リアルタイムな深度情報を加えた上で、リアルタイムに5億ピクセルの解像度をもつHMDで投影したとしたら、脳はその風景を現実として認識するはずだ。なぜなら眼球の解像度が5億ピクセルなので。

だとしたら、眼球が見ている風景が本当に現実だと何が証明してくれるのだろう?タイピングしている手の感触や動かしている指のフィードバックだって所詮は電気信号だ。そこを掘り下げたSAOは凄いと思うのだが、戻ってきたこちら側が現実だとだれが証明してくれるのだろう。

例えば国家。

1億人相手に税金という年額課金をして、公務員というGMが全体管理をしているリアルタイムゲームだとしたら、全体を進行しているシナリオライターは誰なのだろう。

例えばラジオ。

電気の波でラジオは成立している。音波を電波に変えて飛ばし、ラジオ側で復調して音波に戻している。ならば脳波という微弱電流が、何ヘルツかは分からないが身体から発信され、別の人が復調し、脳波として受け取ることは出来ないのだろうか。

例えば記憶。

今朝、大地震が発生して寝ている間に自分は即死していたとする。でも即死だったので死んだ記憶はどこにもない。なので死んでいるのだが、死んだ証明が自分では出来ない。そこに「念」が残ってしまい、その「念」の記憶の中で起床し、生活し、就寝したとする。これが事実だとしても誰かに否定してもらうことも出来ない。自分が自分でいるための記憶があやふやなものだとしたら、何が自分を自分だと証明してくれるのだろう。

もうひとつネタを書こうと思ったら変な耳鳴りがしたので削除。色々疲れているのかもしれないなぁ。健忘録としてひとつ。

ダウン

ちょいとウメさん聞いておくれよ。

体調不良で完全な休みをもらう。喉の調子の悪さは入院以来だと思う。ただ子育てクイズマイエンジェルのBGMに出会えたのは何かのプレゼントかしらん。そして深夜1時の町並みは、押し入れの冒険を思い出すような空気感。

健忘録としてひとつ。