記憶と日記

ちょいとウメさん聞いておくれよ。

昨日の影響でグダグダの体調の中、開示案件やリリースを片付けて会社を上がると珍しい方と合流。何故か途中から記憶の話になり、記憶をキープするには日記が良いですよ、書いてるしという話になり、何故か見せる展開。

記憶ってどんどんあやふやになっていくのは間違いない。だから議事録っていう文字が存在する訳だし、日記は記憶をたどって文字にしている分だけ、記憶を強化してるのかもなぁ。

ただ「今朝大地震が起こって都民全員死んでいるのに、夢のなかの共同幻想として生きている」という説を論理的に否定することは出来ない訳で、この日記も、電車の中の会話も、みーんな夢のなかというオチだって否定出来ない。だったら、その夢だか現実だかよくわからない記憶と言うものを文字に残しておくのは悪いことじゃないと思う。

どうして日記を始めたのかは全く覚えていない。けれどもウメさんに聞いて欲しい話を綴る形式にしよう、これなら続きそう、と思ったのは確か。で、実際に続いてるんだから、きっと書いているときにエンドロフィンが出ているのかなと思ってみたり。

という結論はいかがでしょう?